生粋のロンドンっ子が描くアラサー女性
「不潔な人/フリーバッグ」
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現在Amazon Prime Videoにて独占配信中の「Fleabag フリーバッグ」は2017年にシーズン1が配信開始、ひそかに人気を博し、今回満を持してシーズン2が配信された。主人公はフリーバッグと呼ばれるアラサー女性。セックス依存症で彼氏と別れては新しい男とセックスし、結局は彼氏と元さやに戻る生活を繰り返している。
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仕事はといえば、バリキャリの姉クレアと比較すると肩を落としたくなるほど、友人と始めたモルモットカフェは経営不振。母親は数年前に乳がんで死別し父とはたまに会うくらいで疎遠な上に、父の恋人は自分の代母であり芸術家でかなりのくせ者。しかも共同経営者の友人を不慮の事故で亡くしているという、パッとしないどころか不びんな境遇にある。視聴者としてもさすがにこれは哀れだなと同情せざるを得ないキャラクターでありながら、フリーバッグ自身はケロっとしておりジョークを交えながら彼女の日常を笑い飛ばして生きている。
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The Hollywood Reporterのインタビューによると、「フリーバッグ」とは「不潔な人」という意味で、もともとはフィービーのかつてのあだ名だそうだ。だが一方でこのドラマはフィービーの自伝ではないと数々のインタビューできっぱりと答えている。生粋のロンドン子であり、父親は会社を創業しており、いわゆる良いところのお嬢さんでもあるフィービー。自伝ではないが、フィービー自身が人生で感じていることをエッセンスとして投影しているそうだ。彼女が生きる中で感じる、ふとした感情をふんだんに盛り込んだドラマ「Fleabag フリーバッグ」は、“不潔な人”の個性的なストーリーながら視聴者の心にそっと近づきぐっと離さない魅力がある。
視聴者との絶妙な"人間関係"
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「Fleabag フリーバッグ」の最大の特徴の1つが視聴者に語りかける演出である。近年ではNetflixドラマ「ハウス・オブ・カード」でも使われた演出。主人公が自分の心境を視聴者にぶっちゃけるのである。言葉で語るだけでなく、頻繁に目配せなどでこちらに視線を向けてくる。まるで視聴者が透明人間として彼女の日常に入り込んでいるかのように。この演出があることで、視聴者と主人公フリーバッグの距離感はグッと縮まる。フリーバッグの生活をのぞき見しているかのような背徳感と、彼女とは全く異なる生活を送っているはずのになぜか自分の毎日とリンクさせてしまう。
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心理学に「ザイアンスの法則」というものがある。人は一緒に過ごした時間よりも、短い時間でも接触した回数が多い方が親しみを感じる、というものだ。しかも、人間らしさを感じるほど距離感が縮まるそうである。その効果を意図してかは分からないが、彼女がこちらを向いて話したり、時折、まゆをひそめた目線だけ向けてきたりすることを次第に期待している自分がいる。いま彼女は何を思っているんだろうと、ワクワクしてしまう。まんまとフィービーにはめられたと感じるほど、視聴者はフリーバッグの行く末を前のめりで見届けてしまう。特にシーズン2では、この演出手法が思わぬ展開を見せ視聴者の度肝を抜く点も見逃せない。
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決して完ぺきではないフリーバッグの人生。日々生きていく中で、ドラマに非現実的な「何か」を求める視聴者にとって、フリーバッグの日常はある種、余りにも身近にありそうな内容。仕事や家族、恋愛…誰しも何かしら悩み、順風満帆な人生を送っている人なんてなかなかいない。フリーバッグの人生は、あくまで彼女自身の唯一無二のストーリーでありながら、どこか共感できるのは、彼女の感情そのものが視聴者自身のそれと似ているからではないか。
仕事で失敗し、どうにも詰んだ時に、だれかを頼りたいけれど「お願い」の一言が言えない、家族や友人との死別に引っ張られる感情、好きなように恋愛しているが本当にこのままで良いのかという一抹の不安がよぎる瞬間…など、シチュエーションは違っても心が経験したことに、一致はせずとも「共通点」がそこにはある。登場人物は知る由もない、視聴者だけが知っている秘密を共有したフリーバッグとの奇妙で絶妙な“人間関係”が気づいたら出来上がってしまう。
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クリエイターのフィービーは脚本を書くとき、一番に観客の反応がどうなるかを大事にしていると英国版GQ誌のインタビューで語っている。彼女にとって、あくまでの物語の主役は登場人物たち以上に視聴者であり、それは舞台で経験を積んできたからこその感覚であろう。Late Night with Seth Meyersでのインタビューにおいても、視聴者がどんな反応をするか、特に、ハッと息を飲むような反応を視聴者から引き出すことが大好きだとウキウキしながら語る様子からも伝わる、彼女の良い意味での“意地悪さと遊び心”がふんだんに盛り込まれたフリーバッグの生きざまは、視聴者の心をグッと惹きつける。
ユーモアで視聴者を翻ろうする遊び心に潜んだ鋭さ
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「Fleabag フリーバッグ」はあくまでコメディである。明るくユーモアをふんだんに交えながらストーリーが進む。しかもただ単に面白いジョークを言うだけではなく、人間関係の中で繰り広げられる微妙な空気感さえも取り入れてくる。クリエイターのフィービー自身も、どのインタビューを見ても必ずジョークを交えるほど、ユーモアあふれる人物だ。イギリス版GQ誌のインタビューでも、ジョークを言うことで相手がどういう人かを探ると答えるフィービー。「Fleabag フリーバッグ」だけでなく「キリング・イヴ」においても、ユーモアをとても大事にしている。ジョークを交えることで見えてくる人間臭さ、それが彼女の作家性の1つともいえる。
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「Fleabag フリーバッグ」では、主人公フリーバッグがジョークをよく言うキャラクターとして描かれ、姉のクレアからはいつも「ジョークを言うのをやめてくれ」と怒られる。それでもついついジョークを言ってしまうフリーバッグと、それに対する姉クレアの取り乱し方は、どこか滑稽にも見える。はたから見るとジョークだし、誰も傷つけていないならそんなに気にしなくても良いのでは? と思うのだが、痴話げんかの中に、姉クレアが抱える複雑な事情がちらりと垣間見える。視聴者もついつい、「ハハハ!」と面白おかしく笑ってしまうが、そのあとに見えてくる人生への鋭い指摘にグサッと心を刺されるのもこの作品の凄いところだ。まさに「ハッと息を飲む」、コメディドラマなのにそういう瞬間がある。笑ったことを少し後悔しそうになるところもフィービーらしく、一本取られたと頭を抱えてしまう遊び心。他人事として笑っていたら急に矛先が視聴者の日常に向けられる仕掛けがあるのだ。
ドラマを見終えた視聴者に待つもの
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「フリーバッグ」はシーズン2で完結のドラマである。これは、フィービーも認めている。各シーズン6話×30分弱の計6時間の不潔で不びんなアラサーの人生物語は、視聴者との人間関係を濃いものにしながら、最終話に向け意外な方向に進んでいく。シーズン1とシーズン2ではフリーバッグという人の見え方が全く変わってくる。視聴者として、ある種傍観者として彼女と関わってきた数時間。気づいたらどうにもダメな人生を送っているフリーバッグを信用し、応援してしまう感覚になりながらも、あくまで傍観者である視聴者の私たちに大きな宿題を残してくれることに気づく。
視聴者はすっかりフリーバッグの人生に興味津々なのに、クリエイターのフィービーによって「本当にそれでいいの?」と言われたような感覚になるのだ。それは映画や海外テレビシリーズを見て「勉強になった」「○○が得られた」と言ってしまいがちな私たち視聴者に対してのジョークにも思える。「肝心な部分を忘れていない?」とフィービーは、いつものようにケラケラ笑いながらでも、スッと目線は外さずに私たちに問いかけているようだ。
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「私は困らないし、あなたの人生だからね」と言わんばかりのメッセージを、「ハッと息を飲んだ」表情で受け取った視聴者をしり目に、フィービーは「フリーバッグ」後も彼女のキャリアを怒涛の勢いで積み上げている。現実とフィクションの間に潜むユーモアにも一本取られてしまった視聴者は、「フリーバッグ」の物語が終わってもなお、皮肉にも傍観者としてフィービー・ウォーラー=ブリッジという人の人生の物語を追いかけてしまうのだろう。
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