作品の“テーマ”への追求
――『オーファンズ・ブルース』『裸足で鳴らしてみせろ』『オーガスト・マイ・ヘヴン』には「記憶(が薄れる不安)」があるように感じています。ご自身が惹かれるテーマなのでしょうか。上記以外にも、映画制作において追究しているトピック等があれば教えて下さい。
私の祖母が実際にアルツハイマーを患っていたので、忘れてしまうことや忘れられてしまうことは勿論のこと、記憶が失われていくことで祖母の人柄が変わっていってしまう過程も目の当たりにしてきました。しかしそれでも、その人の中に残っていくものがあるのだと感じたことが私にとって「記憶」というテーマを特別にしたように思います。
それと同時に「嘘」や「偽装」といった要素や、様々な関係性の中だったり生きる中で生じる「矛盾」も人間を描く上でこれからも追求していきたいテーマです。
また、映画表現のテーマとして追求したいのは音や光、身体の運動などです。このような原始的な要素が映画をより豊かにすると信じていますし、それらを物語るドラマに用いて映画でしか表現できないような光景を目指したいと思っています。
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――こちらも『裸足で鳴らしてみせろ』とも通じるかと思いますが――「3人」という構造での見せ方が絶妙です。本作では「なりすます」も重要な要素ですが、人物の関係性を構築するうえでどういった部分に特にこだわられていますか?
3人という構造についてはなぜか惹かれます。ただこれまでは、3人のうち1人は不在だったり、1人のために2人が奮闘するというように最終的には一対一の話になることが多かったのですが、今回は3という数をはっきりと意識して、3人の男女が特殊な関係性の中で関わり合う物語にしたいという思いがありました。
まず映画としての感情の最終地点や題材、主軸となる人物を固めてから人物相関図的なものを作成するのですが、その関係性においてそれぞれが抱く思いが交錯したりすれ違うことの複雑さを考えながら、ドラマにうねりをもたらせるよういつも試行錯誤しています。
『オーガスト・マイ・ヘヴン』の撮影については特に、1人を2人の間に挟むような構図だったり、サークル(形としての円)、3人の視線の交わりを意識して動線や立ち位置、座り位置などにこだわった記憶があります。