完璧なシンメトリーの構図。独特のカラー・パレット。ミニチュアのように作り込まれた世界観。ウェス・アンダーソンの映画の魅力は様々だが、彼の美意識と映画世界の根底にある要素として、ここでは彼の文学的なセンスを取り上げたい。
絵画や写真、そして膨大な数の過去の映画作品をイメージの参照にしているウェス・アンダーソンだが、物語の面で彼が大きな影響を受けているのがJ・D・サリンジャーの小説だ。特に青春映画の要素が強い初期作品のオリジンは彼自身が愛読書として挙げる「キャッチャー・イン・ザ・ライ」にある。
テキサス大学オースティン校の脚本執筆クラスでオーウェン・ウィルソンに会ったことが、アンダーソンの映画作りの始まりだった。2人はやがてアンダーソンの長編デビュー作『アンソニーのハッピー・モーテル』(1996)の基となる脚本を書き始めるが、私立のプレップ・スクールを追い出され、次々と学校を退学になった後、士官学校に転校せざるを得なくなったオーウェン・ウィルソンはまさしく「キャッチャー・イン・ザ・ライ」のホールデン・コールフィールドそのもの。
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映画嫌いのサリンジャーが断固として自分の作品の映像化を許そうとしなかった結果、逆にニューシネマ以降次々と「キャッチャー・イン・ザ・ライ」的な青春映画が作られることになるが、オーウェン・ウィルソンが共同で脚本を書き、かつ出演したアンダーソンの初期の作品もその系譜に組み込まれている。2人のサリンジャー作品への愛は「フラニーとゾーイー」などの「グラス・サーガ」作品群からインスパイアされた『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』へと結実していく。しかしアンダーソン世界の主人公であるオーウェン・ウィルソンは『ダージリン急行』(2007)での包帯だらけの姿と連動するかのように、「バナナフィッシュにうってつけの日」のシーモアを思わせるような痛ましい事件をプライヴェートで起こし、一旦アンダーソンの世界で後方に退いてしまう。
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アメリカ青春文学的な要素の代わりに、アンダーソンの作風に現れ出したのはヨーロッパ趣味だ。架空の東欧の国を舞台にした『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014)は、オーストリアの作家シュテファン・ツヴァイクに捧げられている。ツヴァイクの作品の世界観だけでなく、人々が語るストーリーを第三者が聞き、その語られたストーリーの中にも別の話をする人物がいるというツヴァイクの「昨日の世界」の構造自体がウェス・アンダーソンの脚本に大きな影響を与えている。
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最新作の『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』(2021)は、近年のヨーロッパ志向とかつてのアメリカ文学趣味の融合だ。1920年代から60年代にかけての「ニューヨーカー」誌にオマージュを捧げた作品だが、舞台となる編集部があるのはニューヨークではなくパリ。ヨーロッパに派遣されたスタッフ・ライターや、フランス在住で「ニューヨーカー」誌に寄稿していた作家たちの記事を基にした物語が、それこそ雑誌的な構成によって語られている。若い頃は故郷テキサスで「ニューヨーカー」のバックナンバーを集めていたというウェス・アンダーソンらしいアイデアで、同誌のファンならずとも、彼の雑誌愛に胸が熱くなるような映画だ。
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しかしどうしてウェス・アンダーソンは、豪華キャストが勢揃いするこの映画にウォーレス・ショーンをキャスティングしなかったのだろう。ニューヨークを舞台にした映画やドラマに必ずと言っていいほど出てくるこの俳優は『フレンチ・ディスパッチ』でビル・マーレイが演じる編集長のモデルとなった「ニューヨーカー」二代目編集長のウィリアム・ショーンの息子。顔もそっくりなのだ。あまりに距離が近くて、声をかけづらかったのかもしれないが、アンダーソン作品にハマりそうな人なので、いつか出演して欲しい。
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