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主人公は内戦が激化するシリアから逃れる途中で、妹とはぐれてしまった青年カーリド。空爆ですべてを失ったいま、唯一の希望である妹を探し回るうち、偶然、フィンランドのヘルシンキにたどり着きます。この街は人に優しいと耳にしていたにもかかわらず、多くの難民に悩まされている行政は決して寛容ではなく、市民の中の受け入れ反対派から差別や暴力を受けるカーリド。その現実にがっかりしていたときに出会ったのが、レストランオーナーのヴィクストロムです。彼もまた孤独で、失意の中から新しい人生をスタートしようとしていました。そんな二人が出会ったことで、希望が生まれ始めるのです。
アキ・カウリスマキ監督の作品では、どれほどドラマティックなことが起きようと、登場人物たちは感情の起伏を見せません。顔を合わせてうなずく、握手をする。そういった“形式”によってのみ、キャラクターの気持ちが豊かに表現されるのですから深い! これはもう、様式によって美しさを表現していく様式美の世界です。アキ・カウリスマキ監督の作品は、日本にファンが多いと聞きますが、それは、能や歌舞伎、茶道など様式美が賛美され、理解され、日常生活に近いところで根付いている我が国らしいことかもしれません。(ちなみに、歌舞伎では様式のみで感情を表現し、演技の中で感情を表してはいけないとされています。)
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一方で、様式美の文化に慣れていなければ、「なんでみんな無表情なの?意味がわからない」となる恐れもあるはず。抽象画でもいえるように、秘められた表現というは読み取る側にその素地がなければ、なかなか理解されにくいのかもしれません。日本で育ったものにしてみれば、むしろ抑えられた表現の中に無限の豊かさを感じたりもするのですが。監督も、もしかするとそんなところに共鳴して、日本贔屓になったのかもしれませんね。サントラに日本の歌を用いるのはもうお馴染みですが、今回はヴィクストロムに日本料理屋までやらせ、妙な寿司まで作らせ、店員に法被まで着せてしまいました。日本人から見ると、かなり笑えますし、きっと監督はあえてやっていると思われます。
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そんなことからもお判りでしょうが、、監督は難民たちを決してかわいそうな被害者としてだけ描いているわけではありません。彼をどう行け入れるかという難しい問題を提起しながらも、ちょっとした笑いをちりばめ、「難民」=厄介者というネガティブなイメージを払拭し、それによりいまのヨーロッパを覆っている不穏な空気を取り払いたいと思っているのです。カウリスマキ監督の様式美を愛することができるなら、その思いはひしひしと伝わってくるはず。寂しさ、侘しさ、優しさ、温かさ、そしてそれがないまぜとなったヴィクストロムのレストランから生まれてくる希望に、どうしようもなく喜びがあふれてくるのです。人を傷つけるのは人間ですが、人を救うのもまた人間。もしかすると、本作の狙いは、難民問題を通して人間の本質を表現しつつ、「世界はそんなに悪くない」と気づかせることで、いま世の中にはびこっている“不寛容”に打撃を与えることなのかもしれません。
侘び寂びの様式美でいまのヨーロッパを語るアキ・カウリスマキの流儀に、ぜひ、劇場で浸りきってくださいませ。