フランスはやはりすごい国です。今年85歳の大女優が、“女”として、しっかり主役を張っていました。『クロワッサンで朝食を』は、パリを舞台に、高級アパルトマンに一人で暮らす老婦人・フリーダと、彼女の家政婦をするためにエストニアから出稼ぎにやってきたアンヌとの出会い、そして心の触れ合いを描いた物語です。ここで、毒舌家で気難しく、限られた人間としか付き合おうとしないフリーダを演じているのが、85歳の伝説的女優ジャンヌ・モロー。新しくやってきた家政婦に、「美味しいクロワッサンの買い方も知らないなんて」とつらく当たり、食事に口をつけようともせずに意地悪なことばかり言っている彼女は、なんとも嫌味な人物ではありますが、彼女の豊かな表現力により、その佇まいには単に頑固なおばあさんには留まらない、寂しさや切なさが映し出されています。それは、女優としての演技力も去ることながら、ジャンヌが経験してきた深い人生が表出したものでもあるはずなのです。ジャンヌ・モローといえば、「ルイ・マルを愛し、トリュフォーから崇拝され、ピエール・カルダンに一目惚れされ、オーソン・ウェルズと笑った」と称される女優。“ヌーヴェルヴァーグの恋人”とも呼ばれた彼女は、女優として、女性として、さまざまなクリエイターたちのミューズであり続けています。人間は、歳を重ねれば重ねるほど、どんな生き方をしてきたかが、顔、仕草、ファッションなどに現われてくるもの。スクリーンを通してさえ垣間見えてくるジャンヌの魅力的で貫禄ある佇まいは、彼女の華麗なる交友関係と決して無縁ではないはず。彼女の歴史は、ヨーロッパの華やかなりし文化の歴史でもあると言えるでしょう。すでにご紹介したように、映画界の重鎮たちとの交流はもちろんですが、ジャン・コクトー、『エヴァの匂い』で衣装協力していたピエール・カルダン、マルグリット・デュラス、ココ・シャネルらも彼女の友達。そんな彼女の華やかなライフスタイルが垣間見える例があります。本作品でジャンヌが着用しているファッションの多くは「シャネル(CHANEL)」なのですが、アイコニックなパールのロングネックレスを始め、ツイードのチェーンバッグ、カメリア、メンズライクなジャケットなど、すべてがプライベートでもココと交流のあったジャンヌ自身の私物だといいます。「主要なクチュリエとは個人的なお付き合いがありますが、『シャネル』もその一つです。『シャネル』の洋服はいつも世界を魅了し、影響を与えてきました。映画の中で着ている衣装は、これまでさまざまな映画で着ていたものです」と語るジャンヌ。映画の中の豪華な衣装とプライベートのファッション、その境界性がないなんて、まさに大女優のイメージそのもの。近頃のセレブリティ・スナップでは、私たちとさほど変わらないカジュアルなお手ごろファッションを愛用するハリウッド女優たちの姿が多く紹介されて、共感も多く生まれていますが、やはり往年の女優にはスター然とした佇まいがあってほしいもの。どちらが優れているというわけではありませんが、『クロワッサンで朝食を』の今回の役は、物語の中盤で明かされるフリーダの知られざる過去を考えると、ジャンヌが持つ“伝説的人物らしさ”のようなものがあったからこそ成功した、といえるのも事実なのです。さらに、彼女の大きさを感じられるのが、この作品への出演。映画史に名を残す巨匠たちと仕事をしてきた彼女ですが、作品選びの際は決して名声に囚われることがないといいます。作品の規模、監督、共演者の有名・無名には一切こだわらず、自らのセンスだけを頼りに出演作を選ぶことで知られるジャンヌ。今回、この作品でメガホンをとっているのは、映画界では決して大国とみなされていないエストニア出身で、しかも、この作品が劇場用長編映画初監督作という無名のイルマル・ラーグという人物なのです。ジャンヌ自身「私は、その世界に入り込めるかどうかで演出家を選びます。その人のために何かをしてあげたい、何かをもたらしてあげたいと思えるかどうかです」とコメントしていますが、まさに彼女の読み通り、この作品は監督にロカルノ国際映画祭で「エキュメニカル賞」を受賞しました。フリーダという役柄が、演じたことのなかった政治的背景を持った役でもあり、そこから新しい世界を覗くことができると思ったことも出演理由の一つだと語っていますが、85歳にして、新しい世界を覗きたいと感じる好奇心、意欲には驚くばかり。きっと、彼女のような女優こそ、多くのクリエイターを刺激する、生粋のミューズと言えるのではないでしょうか。