本作のストーリーは、どこから着想を得たのですか?
親友のカレン・リナルディが、私が映画にする本を探していた時に「私が書いている未出版の本があるんだけど」と教えてくれました。その本は当時まだ完成していませんでしたが「もしかしたら映画にできるかもしれない部分がある」と言うのです。彼女はマギーの章だけ送ってくれたのですが、そこには、ジョーゼットと、ジョンとマギーの三角関係が描かれていました。プロット的に脚色した要素はたくさんありますが、人を惹きつける魅力をもったストーリーがあったのは本当にうれしいことでした。
本作を一言で説明すると、どんな映画でしょうか?
ある女性が既婚男性と恋に落ちるも、何年か経って、やっぱり彼は前妻にぴったりだったと気づき、さあどうするか?というのが主題です。おとぎ話のようでありながら、妙にリアリティがありますよね。観ている人の多くが「なるほど、悪くないアイデアかも」と思うんじゃないでしょうか。そのアイデアの一部は、実はジュリアン(ムーア)とお茶していた時に聞いた話からヒントを得たのです。彼女の友人が再婚し2度目の家族をもち、あちこちの子供との旅行の企画や手配に腐心して「こんなはずじゃなかった」と感じているというのです。そうなってしまうと「この再婚は、こんな苦労をするほどの価値があるんだろうか?」と考えるようになりますよね。恋愛感情が消え、日々の生活の現実的な問題だけが残ってしまうということです。
でもこの作品の感動的なところの1つは、登場するすべての人々が、結局は持ちつ持たれつの関係にあるという点です。皆がある意味互いの面倒を見ている。それは、とても美しいことなのではないかと私は思います。私たちは皆、互いのギャップを埋めようとするところがあるし、人間の本能で、家族を作ろうとする。そうしてできた家族が、当初意図した形ではないかもしれないし、再編成もあったりする。それでも、最後にはどうにか落ち着くものだと思うのです。たとえそれが少し変わった形であっても。
監督は今回脚本も兼務していらっしゃいます。グレタ・ガーウィグやイーサン・ホークも監督や脚本など製作分野で活躍していますが、今回一緒に仕事をされて、何かシンパシーを感じた事、本作に与えた好意的な影響などはありましたか?
二人ともとても協力的だし、物語を語る上で効果的な演技を判断するのに長けています。例えばラブシーンはいつも大変で、どうやって撮影するかに困るもの。だから二人のラブシーンを撮るとき、たくさん話し合ってリハーサルを重ねました。グレタが長いパジャマを着ているシーンで彼が崩れ落ちるのはグレタが考えたことだし、そのあとにひざまづくのはイーサンのアイデアだったと思います。素晴らしい絵ができたところで、緊張感やリアリティを出しつつそれをどのように撮るかは私の仕事でした。あの映像は三人のコラボレーションだったし、それが可能だったのは彼らが作り手の経験があるからだと思います。
ほかにももう一つ。この作品は大部分脚本に忠実で、あまり即興はありませんでした。でも二人がベッドにいて、正面から彼らを撮ってるシーンで突然ひらめいたんです。監督って、常に作品全体のことを考えながらシーンを撮っているものなのですが、頭の中で全体像を描いていたら、このシーンでもう一つ何か、マギーが耐えられないと思うようなことをジョンがしないと、って思いました。「何か事件がないと。」って。ジョンがしつこく彼の本について話し続けるのはどうだろう、と思ったけどそれじゃダメで…。それで二人に相談をしました。この映画はすごく限られた時間で撮ったので、あんまり考える暇はなかったんですが、ちょっと考えようと私から提案をしました。するとグレタが、ヴィレッジヴォイスに載っている、彼女が大好きな星座占いがあって、ある時友達に「あなたの星座読もうか?」って言ったら「いいえ」って言われて、すごく失礼だと思ったって。それを聞いて私は、「それやろう、ベッドに入って!」ってあのシーンを撮ったんです。
結果的に、あの何気ない小さなシーンが、日本のポスターにも使われています。あれは、私のお気に入りになりました。セリフもほとんどない小さな一瞬が、すごく多くを語ってるでしょ?あれは二人が作り手の感覚を持っているたとえの一つです。ジョンの読む本をパリ・レビューという雑誌にしたのはイーサンのチョイスで、これは偶然だけどこの後ジョーゼットの家のテーブルにもパリ・レビューが置いてあるシーンが出てくるから、二人の趣味が同じってことをさりげなく表すことにもなっています。
今回の製作現場においては、監督の“プラン”通りに行ったのでしょうか?また、その中で何か思い出深いエピソードがあれば教えてください。
この仕事にプランは必然で、私はすごくラッキーだったと思います。うまく行った例えとしては、話の中に大雪のシーンがあり、2月に始まった撮影は、このシーンを撮る頃には3月になっていたから、周りの人に「もし雪が降らなかったらどうするつもり?」って聞かれました。だから、私は代理プランを用意していて、雪がなければハリケーンという想定にして、木の枝なんかをまき散らそうと思っていたんです。そのシーンの撮影現場に向かっている車中、雪が降りだして。しかも豪雪になり、私はバスの中からジュリアン・ムーアに携帯メールで「雪が降ってる!」って送ったのを覚えています。前の晩にも降ったらしくて、当日も降ってたから、十分すぎる雪があって、あれが私のプランが強運に救われた一番すごいストーリーですね。
シネマカフェは、マギーと同じくらいの年齢の女性がメインの読者層なので、この映画を観て、マギーやジョーゼットの不器用だけど自分の幸せを求めてまっすぐに進む生き方に元気づけられると思います。この映画を製作された監督として、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
全てが自分の責務だと思わないこと。ほかの人に助けてもらうことも重要。自分はなんでもできるわけじゃない、と気づくことは謙虚になることでもあるんです。なんでもできると思うのはエゴでもあるから。できないこともあると認めるのは謙虚なことなんです。
この映画は結果的にロマコメの王道のような結論に至るけど、一方でいろんな家族の形を示してもいます。この作品の大好きなシーンの一つに、二人の女性が一緒に暮らしているところで、ジョーゼットが「今日が金曜日で良かった」っていうシーンがあります。二人が敵同士って言う設定から始まったのに、しまいには誰がどの子をスケート場に連れていくかを話してるって言うのが最高なんです。必要ならこの人たちで家族を作って問題解決すればいい、って気が付くっていう。結論としては、男と女が生き延びるために一緒にいる必要がなくなったとしても、一緒にいないと家族は作れないってこと。選んで一緒にいる、っていうのが違うところです。考え方によっては、選んで一緒にいる方が美しいと思います。
でもそれは選択をするということ。だからそれは、一つの考え方の終わりと、新たな考えの始まりを意味しているんです。