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【インタビュー】河合優実、過酷な現実を生きた役へのアプローチ「これまでとは違ったものに」

生傷が広がっていくような壮絶な役どころを、一人の人物として寄り添い、文字通り「生きて」見せた河合優実。舞台裏と共に、表現者としての信念や葛藤を語っていただいた。

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河合優実/photo:Jumpei Yamada
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出演後に変化した社会の見え方と心境


――漠然とした質問で恐縮ですが、本作に出演されて河合さんご自身の社会の見え方は変化されましたか?

変わったと思います。これまでも様々なニュースを観て「自分と違う境遇にある人がたくさんいる」ということを知識としてわかっているつもりでしたが、その当事者を演じるなかで自分自身が疑似体験したことや、映画にしていくことで感じた事柄によって見え方は変容しました。こうした社会問題について、どういう風に情報が発信されて人々がキャッチしているのかといった部分についても考えるようになりました。

――先ほど河合さんがおっしゃった「怖さ」について思うのは、こうやって取材等で言葉にすることもそのひとつなのではないかということです。

そうですね。言葉にすることへの怖さもあれば、難しさも感じます。そもそも、本作に限らず言葉で言えないから映画になっているところもありますし。言葉にしなくて済んだものを言葉にすることで、自分がそのとき感じていたことや、表現したことからズレてしまったり、より大きく伝わってしまったり小さくしか言えなかったり、そういったことは本当にたくさん起こります。

ただ、映画に出た後に作品や自分のお芝居が何を表現していたかちゃんと言語化したいとも思うので、どんな作品でも頑張って言葉にしようとはしています。

――ちなみに、本作のように実話から派生した作品に出演したことで、ご自身の観客としての心持に変化はございましたか?

私が作品を観て感動するときは、そこにある人間や精神、命をとても尊重していると感じられた瞬間だと思います。いい作品にはモラルがあるものだと私は考えていて「これはフィクションではあるけれど、人の尊厳を踏みにじっているんじゃないか」と思うときはやっぱり、いい作品と思えません。これは『あんのこと』に関わっている際に、よく考えたことです。


現実社会の課題を描く映画へ多数出演


――河合さんがこれまで出演された作品には『PLAN 75』や「神の子はつぶやく」ほか、現実社会とリンクするものも多くありますね。

確かに今までも、様々な社会の課題に対しての映画に出演させていただきました。そのなかで『あんのこと』は実在した人物の人生を映画にしたという意味で直接的ですし、そのぶん自分の中で重くのしかかるところはありました。

――そうですよね。劇映画という性質上、どうしたってある種の暴力性や、見ようによっては搾取という部分から切り離すことはできないとも思いますし。そういった部分との折り合いについては、いかがでしょう。

「ついている」とは言い切れないですね。でも、主演として、この作品を世に出していく立場としてそう言っていいのかもわかりません。だからこそ「どうしよう」と悩みはしますが、「絶対に映画にして世の中に伝えるべき」と信じた入江さんの気持ちや、私が取り組んでいた気持ちは本物です。

他者の気持ちを完全に察することは難しいけれど、ご本人にお話を聞くことが叶わないぶん自分の中では「敬意を払う」ことしかできないから、できる限りのことはやり切りました。「観てほしい」と言っていい、と自分が思える材料はそこにしかないと思います。今現在はまだ客観的に受け止めきれておらず、「入江さんや自分が精いっぱいやった」ということだけが免罪符になっているような感覚です。

――河合さんの全身全霊のお芝居を目の当たりにされたら、きっとその想いは伝わるのではないかと思います。今回は「生き返す」がテーマだったそうですね。

入江さんが最初に下さった文章に書いてあった言葉です。「描きたいことを描くためにどういうシーンを構築していくか」や「そこにいる人をどう撮るか」を一端脇において、私の身体を通して彼女が生きているということをもう一度見つめようとしているのかなと感じました。

そういった目標があったため、私自身のアプローチもこれまでとは違ったものになりました。普段は全体から入ることが多く「このシーンは全体の中でこれくらいの場所にあるから、こういう道のりを辿ろう」や「映画全体の中でこういう役割を果たす」と逆算してお芝居を考えていくのですが、今回は杏という人物に出来るだけフォーカスしようという考え方にどんどん近づいていきました。

私自身も実在した方の役は初めてでしたし、歴史上の人物ということとも違い、何年か前まで生きていらっしゃった方ですから、強い気持ちがないとやれないと当初から感じてはいました。撮影もほぼ順撮り(脚本の順番、或いは時系列通りに演じること)だったので、よりそうした方向に進みやすかったとも思います。

作品作りも“モラル”が重要「人間性で信頼できる方とご一緒したい」


――河合さんは「入江監督との信頼関係」を語っていらっしゃいましたよね。物語としての全体を意識して動くのではなく、その瞬間の役に集中するということは、“見え方”をこれまで以上に監督に委ねることになりますから。

そうですね。一つ記憶に残っているのは、高架下のシーンです。薬物をやめていた杏がもう一回使ってしまい、多々羅が迎えに来る場面ですが、撮影後に背中をポンと叩いて「よかったよ」と言って下さったんです。入江さんはいい/悪いをあまりオープンに役者に伝えない方という印象があったため、嬉しかったです。

その後にも「僕は今日、あのシーンを撮って香川杏という人を尊敬出来ました」とメッセージを送ってくださいました。一緒に映画を作っていくうえで、もう一段階踏み込んで手をつなげたような気持ちになった出来事でした。

――素敵なエピソードですね。例えばご自身が「組みたい」と思うクリエイターや「参加したい」と思う企画においても、先ほどお話しいただいた「モラル」が重要なのでしょうか。

それは大きいかもしれません。これは映画に限りませんが、「決して善い人間ではないけど歴史的な芸術を生み出した」という人物もこれまでたくさんいますし、その人たちの作品を好きな自分はいます。ただ、自分が一緒に組むとなると、表現すること以前に人間性で信頼できる方とご一緒したいと現時点では思います。


《text:SYO/photo:Jumpei Yamada》

物書き SYO

1987年福井県生。東京学芸大学卒業後、映画雑誌の編集プロダクション、映画WEBメディアでの勤務を経て、2020年に独立。映画・アニメ・ドラマを中心に、小説・漫画・音楽・ゲームなどエンタメ系全般のインタビュー、レビュー、コラム等を各メディアにて執筆。並行して個人の創作活動も行う。

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