1人で映画館にふらりと行って、映画を観られるようになった十代の頃、渋谷にシネマライズがオープンした。それもあって、ミニシアターというと真っ先にいまはなきこの映画館と、渋谷の街が心に浮かぶ。
まだ、ミニシアターという名称が一般的でなかった頃、私は新宿のシネマスクエアとうきゅうや、俳優座シネマテン、シネ・ヴィヴァン六本木といった劇場で、ブロックバスターとは違うタイプの映画に親しんできた。でもそこには、映画好きの母のお供で行ったに過ぎない。自分で映画を選んで観に行くようになってから、足しげく通ったのはシネマライズであり、ザ・プライムの6階に入っていたシネセゾン渋谷だった。パルコ・スペース・パート3やシード・ホールにもお世話になった。高校の時から渋谷は好きな街だったが、大学生になった90年代には、映画館、レコードショップ、ブティック、カフェと好きなものの何もかもが渋谷に集結していた。あの頃、渋谷のミニシアターで観た作品は、思い入れの深いものが多い。

シネライズで初めて『レザボア・ドッグス』(1991)を観た時は興奮した。80年代から日本のミニシアターで不動の人気を誇っていたのはジム・ジャームッシュで、もちろん私も嫌いではなかったが、自分よりも年上の人たちにより響くものがある監督なのではないかと、十代の時に思っていた。
クエンティン・タランティーノの映画を観た時、自分たちの世代のための監督がようやく出てきたと思ったのだ。「私たちの」劇場であるシネマライズで、「私たちの」映画監督であるタランティーノの映画を観た。ひとつの時代に立ち会っているだけではなく、その時代を生きている。シネマライズで『レザボア・ドッグス』を、そして『トレインスポッティング』(1996)を観て、そんな臨場感を覚えた観客は少なくないだろう。この瞬間に、この場所で観ているからこそ、意味がある。そう感じさせてくれた映画体験だった。
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90年代、ミニシアターで観て、もう一度観たい映画の中には、DVD化もされていなければ、配信でも観られない作品がある。シネマライズで観た中では『ミナ』(1993)がそうだ。ロマーヌ・ボーランジェとエルザ・ジルベルスタイン主演の青春映画で、60年代から70年代を舞台に2人の少女が大人になって、すれ違うまでを描いたこの作品が好きだった人は多いはず。ベンチに並んで腰かけているメガネをかけたミナ(ボーランジェ)とベルボトムのジーンズのエテル(ジルベルスタイン)の姿が忘れられない。
『ゴーストワールド』(2001)のソーラ・バーチとスカーレット・ヨハンソンが出て来る前、世を拗ねた少女たちが最も感情移入できる2人組といえば、この不器用なフランスの少女たちだったのではないだろうか。少なくとも、自分にとってはそうだった。この映画を、私は中学時代の親友と2人で観に行った。
もう1本は、シネセゾン渋谷で観たパスカル・フェラン監督の『a.b.c.の可能性』(1998)だ。二十代半ばの10人の男女の将来への期待や不安、上手くいかない恋愛や人間関係を描いた群衆劇で、臨場感があってチャーミングだった。劇場で観たことを後から自慢したくなるのは、名作や大ヒット映画よりも、実はこんな映画だ。
「渋谷系」と渋谷でかかるミニシアター映画が分かち難く結びついていた時代で、『ミナ』のパンフレットに「ラヴ・タンバリンズ」のエリとカヒミ・カリィの親友対談が掲載されていたり、「ニール&イライザ」が『a.b.c.の可能性』とのタイアップでシングルを出していたことも(やや苦笑してしまうが)懐かしい。