1930年代、大恐慌期のアメリカで、「汚れた金しか奪わない」をモットーに銀行強盗を繰り返した犯罪王、ジョン・デリンジャー。創設されたばかりのFBIに“社会の敵(パブリック・エネミー)No.1”の烙印を押される一方、紳士的な義賊として大衆から支持されたデリンジャーの生きざまに迫るのが『パブリック・エネミーズ』だ。30年代に大衆から愛された男がデリンジャーなら、現代の大衆に最も愛されている男だと言えるのがジョニー・デップ。クラシックなスーツに身を包み、圧倒的なカリスマ性で周囲を魅了したデリンジャーを、端正な顔立ちのジョニーがスマートに演じ上げている。とは言え、伝説のアウトローとなった男を単純明快なヒーローにはせず、複雑な主人公として存在させるのがジョニーであり、名匠マイケル・マン。スマートな振る舞いが崩れたとき、ふと見せる焦りや仲間を次々に失う血生臭い現実、さらにはマリオン・コティヤール演じる意中の恋人ビリーとのロマンスを通して描かれる危うい夢と結末が、社会によって生み出され、社会と隣り合わせに生き、社会によって息の根を止められた男の物語として、大衆の願望をも打ち砕いてみせる。それから30年後、フランスで“社会の敵(パブリック・エネミー)No.1”と呼ばれた男、ジャック・メスリーヌを主人公にしたのがフランス映画『ジャック・メスリーヌ』。『Part1 ノワール編』と『Part2 ルージュ編』の2部から成る作品で、ヴァンサン・カッセルがメスリーヌを熱演。デリンジャー同様、やはり義賊的スタンスで銀行強盗を繰り返したギャングの半生を描いている。しかしながら、こちらでクローズアップされる“パブリック・エネミー”の実像にはより不恰好な面があり、メスリーヌは女性を夢中にさせる一方で女性に手を上げ、自らが伝説の存在となるために根回しをしたりもする。時代を象徴する男ふたりが見せる素顔の違いから、時代を読み取るのも面白いかもしれない。さらに付け加えておきたいのは、『パブリック・エネミーズ』も『ジャック・メスリーヌ』も、映像の質感ひとつ、入魂の美術や衣装、小物ひとつで、舞台となった時代を巧みに映し出している作品であるということ。丹念に再現された時代の精神性も、それぞれの“パブリック・エネミー”を紐解くのに欠かせない要素となっている。