「原作では、それぞれの回ごとに脇の人物に焦点を当てたりもしてるし、それが出来るのが漫画というメディア。一方で映画は、2時間を通して見てもらう中で、ひとつの線路を作らないといけない。それはやはり主人公。桐山の心の流れ、少しずつ小さな一歩を踏み出していく姿を描く。小学生で家族を失い、これからどうなるのか? と心細くなったときに幸田が現れ『君は将棋好きか?』と聞く。生きていくための嘘として『はい』と答え、将棋の家の子になった。その『はい』がどこかに着地するのを、物語の縦軸にしたかった。嘘から出た実(まこと)じゃないけど、最後に桐山が将棋が『好き』だと晴れやかに言える、それを着地点に描こうと思ったんです」。

神木さんは、原作という“地図”さえもなくなる【後編】で、どのように桐山として生きたのだろうか?
「確かに難しかったのですが、撮影の途中から、桐山零というキャラクターは、固定されているわけではないのだと気づいたんです。キャラクターは、例えば“ひねくれ者”というキャラクターだとしたら、誰に対しても一面的にひねくれた感じになると思うのですが、この作品では桐山は、キャラクターというよりもひとりの人間として、それぞれの人物たちと関わっているんです。一定ではない、それぞれの距離感がある。友達同士、家族など人によって距離や親密度、接し方が異なることがあるかと思うのですが、自分というキャラクターが固定されているのではなく、それぞれと色々な関わり方で適度に対応している。それでいいのだと気づいて、楽になりました」。
それは確かに、生きている生身の人間そのものだが、逆に言うと「これ」という固定されたものではなく、それぞれの人物と関係を構築していくというのは、それだけ豊かな表現を求められるということでもある。
「色々な関係があり、それこそ、義理の父親と接するとき、どのような感じなのか僕にはわからないので、たくさん考えました。『知らない人と一緒に暮らすということがどのような感じなのか?』とか。結果的に、僕の中では適度な関係をそれぞれと持つことができて、桐山が『生きている』関係を築けたと思います!」
