巷で話題のこの渋ーい作品。岩波ホールでの上映は連日満席。当日券を求めに朝から長蛇の列。私も二回目のトライでなんとか観ることが出来たのです。正直観終わったあとは「この映画がここまで…?」という不思議がありました。でも、後からじわじわ来てなんだか 恩師にとても大切なことを教わったかのようなそんな気分にいまなっています。お話は1960年代初頭。実在したユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントはユダヤ人を大量虐殺したナチス将校アイヒマンの裁判傍聴を記事にしたことで全ユダヤ人からのバッシングを受けることになります。その記事とは「悪の凡庸さ」…つまり思考を停止し、ヒトラーの言いなりになって動いた凡人アイヒマンの悪とは何か、を問いかけるものでした。彼女はアイヒマンを擁護したのではありません。ただ、アイヒマン自体にユダヤ人に対する憎悪を見いだせなかった。でも彼がしたことは悪に違いない。ではヒトラーの手足となって動いた彼の悪とは何なのか?それは考えることをやめたこと。すなわち人間としての権利を誇りを捨てたこと。大学教授でもあるアンナは、自分を辞めさせようとする大学の他講師たち、そして自分を支持してくれる未来ある生徒たちの前で講義をします。そのスピーチ時間、約8分。「考えることで強くなりなさい。気高くありなさい。」思考の停止は、強いオピニオンリーダーのいる組織の中にいれば誰にでも起こりえること。そして人は、誰しも何かしらの組織に属しています。最小単位は家族、そこから派生する会社、そして国家。近頃、気高さという単語をよく耳にするんです。上品でも下品でもいいのだけどその奥にある気高さ、これはとても重要だと思う。映画も、人も。父親がよく「選ばれるな。選べ。」と言っていたのはこれか、と。それは偉くなれ、ってことじゃなくて自分がいま何をしているか常に自分で把握していろと自分に恥ずかしいことはするな、ってそういうことだったんじゃないかと。思い返すほど胸が熱くなる映画です。昨日、渋谷のキノハウスにブレッソンの『抵抗』を観に行ったら『ハンナ・アーレント』のポスターがかかっていました。あちこちで延長上映されているみたいです。玄里玄里OFFICIAL facebook