「どこかでお会いしましたよね」なんて、下手なくどき文句のようです。でも、実際に初対面であるはずなのに、そう感じてしまう人がいるのも事実。知っているような、懐かしいような。そして、すぐに打ち解けてしまったりして。そんな親近感は、気のせいなのでしょうか。もしかすると、本当に以前どこかで知り合いだったのかもしれません。ソウルメイト? 前世からの曰くつきの関係? こんな考えは、マユツバですかね。いろいろ考え方はあるかもしれませんが、そう思いたくなるのは、特別な人との関係に運命性を見出す自然な心の動きなのでしょう。人は何かと物事に特別な意味を与えようとする生き物。だからでしょうか。こんな特別な意味=“運命”については映画にはよく描かれています。でも、『きみがぼくを見つけた日』に描かれる運命はちょっと不思議。主人公は、遺伝子に異変をきたし、自らの意思とは関係なく時空を旅する力を持ってしまった男性・ヘンリー。過去を旅するうちに6歳の少女・クレアと出会います。クレアは、彼の「未来から来た」という言葉を信じられるほど純真な心の持ち主。人生の節目に、何度も未来から訪れてくれるヘンリーに、彼女は恋心を抱き、「いつか必ず、同じ時空で会えるときが来るよ」というヘンリーの言葉を信じてクレアは静かにその時を待つのです。そして、ある日やっと同じ時空でめぐり合った二人。そのときのヘンリーには、クレアと出会った記憶はないのですが、美しく成長したクレアは、「ヘンリーね!」と愛しそうな表情を見せます。「僕たちは会ったことがあるのかい?」と、戸惑いながらも、悪い気はしないヘンリー。彼女が見せる親しさを探ろうと話し込むうち、懐かしいような愛おしさにも似た感情を抱き始めるのです。タイムトラベルものにありがちな哲学的矛盾満載。“ニワトリが先か、卵が先か”的に複雑に入り組んだ事情を理解しようとするうちに頭は混乱…。そんな側面もありますが、あまり深く考えないようにして、異色のラブストーリーに浸りきるのがおすすめの鑑賞法。何と言っても、脚本は『ゴースト/ニューヨークの幻』でアカデミー賞に輝いたブルース・ジョエル・ルービンですからね。キモとなっているのは、出会う前から始まっていて、死んだ後にも終わることのない愛の物語だということ。何しろ、ヘンリーは神出鬼没。いつ出てくるかわからない人物なのです。その愛、事実上“無限”。ある意味、怖いですかね。でも、自分が気づく前から誰かに愛されているなんて、本当にロマンティック。でもこの作品は、“めぐり合って恋に落ちる”“同じ時間を生きる”という一見普通に思えることだって、とてもロマンティックなのだということも気づかせてくれます。長い地球の歴史の中で、この広い地球の上で、同じ場所、同じ時代に生き、同じ空気を吸っていること。これって実は驚異的な確率でないと成されないことです。そして、それが当たり前に思えるありがたさといったら。もちろん、電車の中で偶然隣り合った人、会社の同僚、道ですれ違う人々など、多くの人と同じ時間を共有するけれど、互いに何かの感情を芽生えさせることはそうそうあることではありません。普通だと思えることにも特別な意味=運命を見出せる出会い。これこそ、「愛」なのかもしれませんね。