本年度のアカデミー賞授賞式でジャック・ブラックと共に、「アカデミー賞はコメディ俳優に冷たい!」と涙ながらに(?)訴えていたウィル・フェレル。だが、コメディ俳優に冷たいのは、アカデミー賞だけではないようだ。というのも、アメリカでは大スターの彼だが、日本での認知度はスターのわりに低め。“ウィル・フェレル主演!”と謳った映画に、どれだけの日本の観客が引き寄せられるだろうか。しかし、『主人公は僕だった』では、あえてウィル・フェレルの存在を強調したい。彼が演じるのは、恐ろしいほどに面白味のない男、ハロルド・クリック。国税庁に勤めるハロルドは、毎朝同じ時間に目覚め、同じ回数歯を磨き、同じ歩数でバス停まで行き…と、とにかく単調な生活を送っている。ところが事態は一転、彼の人生は、ある小説家が執筆する物語の中で成り立っているのだと判明する。しかも、その小説家は悲劇作家で、主人公を必ず最後に殺してしまうのだとか…。フェレルは「人生」に翻弄されきってしまいながらも、何とか打開策を見つけ出そうとする主人公を、お得意のドタバタ風味と共にではなく、人生に戸惑う生身の人間の哀愁と不器用さを漂わせながら演じている。そんな彼の姿はかなりキュートで、誰もが応援したくなるはずだ。マギー・ギレンホール演じる女性アナとの“人生で最後になるかもしれない本気の恋”も、応援の声を強めたくなる大きな要因となっている。なぜなら、フェレルの恋する演技が子犬のように可愛らしいから。ウィル・フェレルが本作でアカデミー賞に候補入りすることはなく、やはりアカデミー賞はコメディ俳優に冷たかったが、少なくとも日本の観客は彼に冷たくはできないはずだ。それどころか、絶対に彼を好きになる。