受け身の恋愛を繰り返してきた恭一は、なんとなく結婚し、当たり前のように不倫もしている。興信所の調査員として彼の浮気調査を請け負った今ヶ瀬は、“弱み”を握って「なんとなく」の隙間を突き、大学時代から募らせてきた恭一への想いを遂げようとする。恋心を武器にぐいぐいと迫っていく者と、恋心に押されて日常をはみ出し始める者。その光景はあまりにも普遍的で、恋愛映画としての距離を観客に向かってぐっと縮めてくる。

水城せとなによる原作コミックの恭一と今ヶ瀬は、想いを言葉にしてぶつけ合う。彼らが飲み込んだ言葉は、モノローグになって吐露される。だが、実写の世界では、原作の大切な言葉をごく控えめに、けれども誠実に抽出。モノローグを鬱々とした表情に、戸惑いの仕草に変化させていく。人物描写に長けた行定勲監督の下、大倉忠義が冷たくも柔らかな空気をまといながら恭一を、成田凌がひたすら可愛らしくもほんの少々の狂気を交えながら今ヶ瀬を好演。恭一と今ヶ瀬が、この2人でよかった。並んで立っているだけで、口喧嘩をしているだけで、肌も露わに交わり合っているだけで、心からそう思える。
自分と闘い、相手とも闘う今ヶ瀬の苦しき恋の闘いに出口が見えない一方、恭一は徐々に変化していく。相手がいてこその受け身だった恭一が、初めて自分1人で恋心と向き合う姿が愛おしい。原作と異なる結末は賛否を呼ぶところかもしれないが、成長物語としてもゆるやかに機能しているラストシーンが大好きだ。