痛い。とにかく、痛いのです。これまでも、『ブリジット・ジョーンズの日記』とか『セックス・アンド・ザ・シティ』とか、同年代の女性たちの素顔が赤裸々に描かれていた映画やドラマはいっぱいありました。でも、自分とは少し違っていたのか、共感しつつもどこか他人事で、大笑いする余裕があったのでした。そんな私の痛点は、ここにあったのかという感じの、映画『ヤング・アダルト・ニューヨーク』。もはや、痛みを紛らわすために笑うしかないという状況。自分を取り巻く環境を客観視できたという意味でも、とても貴重な体験となりました。主人公は、“子どもはつくらない”と決めた40代のカップル。夫のジョシュはドキュメンタリー監督で、大評判だった前作以降、8年間もひとつの新作を撮り続けています。新作完成のめどがたたず、現在はアートスクールの講師としても働いている彼。妻のコーネリアは有名な映画監督の娘で映画プロデューサー。満たされているけれど、どこか単調な毎日に飛び込んできたのは、ジョシュを尊敬しているというジェイミーでした。映画監督を目指す彼はドキュメンタリーの処女作を撮る計画を立てているのです。ジェイミーの妻ダービーは、手作りアイス職人。デジタル時代の真っただ中にありながら、レトロ志向の彼らはレコードやタイプライター、手作り家具などを好み、ちょっとボヘミアンで、クリエイティビティ溢れる生活を送っていました。深く知るにつれ、その自由で軽やかなライフスタイルと価値観に惹かれていくジョシュとコーネリア。いつしか彼らと共にする時間が増えていくのです。20代の若者と同化できるほど若いとは思っていないけれど、共有できる感覚を見つけてはどこか浮かれる40代カップル。うっかり、「自分だってまだまだ捨てたもんじゃない…」と思ってしまったりして。無理に自転車移動にトライして腰をいためるジョシュ、ヒップホップダンスでどこか調子はずれなコーネリア、不思議なスピリチュアルイベントに参加しさえする彼らは、やはり無理しているようにしか見えません。本当に好きならいいのですが…。彼らの行動が多少デフォルメされているとはいえ、似たような状況に身を置いちゃっている大人たちもいるのではないでしょうか?なまじ外見が、年齢の割に若く見える今の40代。演じるベン・スティラーにしたって、ナオミ・ワッツにしたって、確かにまだまだイケる。実はそこが落とし穴なのかもしれません。昔に比べれば、今の30、40、50、そして60代の外見的そして肉体的若々しさは奇跡的のはず。だからでしょうか、つい“若かったあの頃”と決別できなくて。若さを保とうとすることはいいことですが、ファッション、ヘア、メイクなど、“若かったあの頃”と決別できずにいると、とんでもないことになることをちゃんと自覚しなければならない、40代というお年頃の難しさを、しみじみ感じる作品でした。歳を経ても外見がかつてほど急速に劣化しないなら、世代間の違いを物語るのは価値観ということになるのかもしれません。実際に、上手く付き合っていた二組のカップルにズレが生じ始めたのは、その違いが露わになり始めてから。世代間に横たわる大きなギャップ、つまり育った時代や環境で育まれたモラル、価値観の違いは確かにその二組のカップルの間に存在していたのです。違いとは面白さを生むもの。今ある価値観に疑問を持つことで、新時代の新しい価値が生まれてきたことを考えれば、若者たちの無謀さも無くてはならないもの。この作品が描く、“ヤング”と“アダルト”のバトルを見ていると、無謀な若者たちよりも、大人になりきれない“若いつもり”の40代のほうが、よほど“こじらせている”ように見えて切なくなるのです。20代のカップルの言い分に納得できるとしたら、きっと若者。痛みが強いようなら大人。ちょっと踏絵のような映画ではあるけれど、現代を見事に描写したコメディという意味でも、自分を客観視できる映画という意味でも、秀作と呼べるこの作品。「大人になるってどういうこと?」と疑問を持ち続ける方に、ぜひおすすめしたい一作です。